男性へのセクハラと言う風に、視点を切り替えられるのか?
女性のセクハラ訴訟運動(って言う言い方で合っているかわからないけど一応)がアメリカや国内などで話題となっているが、気になることを一つ書く。
女性の保護は強くなると仮定する。しかし少なくともここ日本で、男性がセクハラで訴えても(「女性・男性」からの両方含める)が、「別にどうでもいいじゃねえか」とされるんじゃないか?と懸念がある。
昔「世界一受けたい授業」で住田裕子弁護士が出てきた時に「男性社員が、自分の入浴を女性社員に覗かれたので訴訟を起こした事が実際にあった。勝訴できるか?」と言う問題を提示してきた。
答えはもちろん”勝訴した”だが、それがこう言う風に問題になってしまうのが恐ろしい。
つまり女性へのセクハラに対する保護はあるが、
反対に男性へのセクハラに対する保護は、あって当然と見られていないと言う裏返しではないのだろうか?
某所で「女性への男性からのストーカー攻撃は守られるが、男性へのストーカー攻撃はうやむやにされてると」言う書き込みを見た。
また男性への痴漢が増えてるともちらっと聞いた。
「女性のセクハラ訴訟運動で女性への接し方を真剣に考えよう。」て言う考えから、逆に「男性へのセクハラ関連などの接し方を真剣に考えよう。」と言う風に考えられる人はどのくらいいのだろうか?(男性も女性も含めて)
この右の記事では男性への女性からのセクハラも問題になっているし、(アメリカで起きているセクハラ告発“パンデミック”が意味するもの | ハーバービジネスオンライン : https://hbol.jp/154853)
「日本 男性 セクハラ」で検索しても確かに意図した記事は多そうな感じがする。
しかし潜在意識的に、男性へのセクハラはどうなんだろうか?
例えば下記の画像、言い寄っている男がもし女性でも「女性同士でもセクハラ」となるかもしれない。
しかし男女の立場が全く逆転(女性が男性を言い寄る)だった場合、男性がセクハラされていると感じるのはどのくらいいるのだろうか?
男性が男性を言い寄っていると言う場合、BLだと騒ぐ人はいてもセクハラだと感じる人はそれより少数だろう。
男性は女性よりもそう言ったのは(自分へのセクハラ)気にしないかもしれない。
しかし、少数でも一定数いるのは確かだ。
女性へのセクハラが見直されても、男性のそう言った声は(少数だから)と(気にするな)と言う事で、かき消されるんじゃないのだろうか?
セクハラと言うのは、男性にちょっかいされても気にしていなかった大多数の女性の中で、気にしていた女性の意見は正しいと、認められた証拠かもしれない。
しかし男性へのセクハラはどうなるんだろうか?