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常にクリエイターでいたいがアーティスト傾向が高い人間の考えまとめ。自分が読み返して、面白かったりタメになったりしていますように

有名になってもひっそりと生きていたい。

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自分はメディアに顔が出せるようになったとしても、出したくない気持ちの方が強い。

メディアに出て芸能人がそうしているように、面白いコメントをしたい。

自分について語りたい。特撮に出たい。憧れの人に会いたいと思う。

 

しかし週刊誌やそれ系の記事の見出しを目にする度、その願望は途端崩れるようになる事が多い。

 

「◯◯◯◯、深夜もドッキリにかかる」

 

みたいなプライベートに突っ込まれて下世話に書かれるようなのは、かなりダメージに来そうだ。

本当のこと嘘の事、とにかく興味優先で平気で交えて書かれ、記者に好き勝手に文章としてまとめられ、そう言うのがキツそうだと感じる。

 

2919年に福岡の「富野由悠季の世界」を初日見に行き、後日関連記事を見たら「中年男性が多く詰めかけた」みたいな内容にさえ苦く思った私は、

メディアに顔出ししたら、自分個人で名指しされこうやって書かれる事に慣れないとあれかなと感じる。

正直芸能人の方が自殺をしたと言うのは、こう言う部分があるのかなと勝手に勘繰っている。

 

また自分が堂々としているつもりでも、それが悪と判断され叩かれてしまう側面があるのも著名人である。

いや自分が堂々としているつもりのものが正しいかとは正直関係ない。

 

アイドルが漢字の読み間違いで差別用語を言ってしまったと言うのが、強く言われ謹慎処分。

もし顔出しをせず人気もなかったら、強く言われ謹慎処分になる事もなかっただろう。

 

だから間違いの小さい・大きい関係なしに、とにかく大きく言われて叩かれるのがメディアである。

「勝利した判定内容が疑われている選手に”おめでとうございます”と言ってしまった」

「周囲の交通量が少ないから、信号が赤でも渡る」

と言うのも、大きく言われて大きな罪に感じるのだろう。

  

それに不正を暴露しても暴露した側がそれがいけない事に感じるのも叩きである。

 

メディアと言うのは大衆の目に晒される事であり、顔出しをすれば町に顔を出した時、みんなが自分の顔を知っているかもしれない状態になる。

 

有名になるとそうやってメディアに認知され、正直私自身顔出しではないが、広い意味でのメディアに認知された時期もあった。

顔を出していなくてただでさえこうなのに、顔を出したらどうなるかそこに恐怖を感じる。

 

もちろんそこから善意で見てもらえる事もあり、実際に何度もあった。

が有名になりたいが、顔出しをしてまでやる事かなのようにも感じる。

 

『芸能人がそうしているように、面白いコメントをしたい。』

これはテレビに出なくても普通の日常のプライベートに出来る事だ。

 

『自分について語りたい。』

今こうやっているように普通にネットで出来る。

 

『特撮に出たい。』

インディーズで匿名で出たい。

 

『憧れの人に会いたいと思う。』

顔出ししなくても憧れの人が会ってくれるようになりたい。

 

こうやって「顔出ししたら・・」の願望を一つずつこのように消去し、願望を叶えて顔出し引退して、誰にも顔を知られない状態に作るのも容易ではないだろと考えている。