idea part

常にクリエイターでいたいがアーティスト傾向が高い人間の考えまとめ。自分が読み返して、面白かったりタメになったりしていますように

一発屋と言われると言われないの差

f:id:teruak:20210411164706j:plain

一発屋と言われている人でも、職業によってそう言われているのと言われていないの差があるような気かします。

 

(ちなみにこちら側での一発屋の定義は、下記

『一発屋』や『消えた』の定義付け - idea part

に書いています。)

 

それしか現在知られていないと言う括りの中では、

映画監督・漫画家とかはそんなに一発屋と言われていません。

ですが歌手・お笑い芸人は一発屋とよく言われています。

 

その違いはなんだろうと時々思いますが、一つが顔を出している出していないの差がありそうです。

映画監督や漫画家は作品自体に自分の顔を出す事は例外を除いてありません。

反対に歌手・お笑い芸人はそうも言っていられない事情があります。

プロモーションや披露のために顔を出します。

 

また歌手・お笑い芸人は後年になってその持ち芸(スキルという意味の芸)一つのみしか、取り上げられくなったら「一発屋」だとか呼ばれやすくなります。

映画監督や漫画家とかの作品は、作品→中の人みたいに出やすい順番があり、中の人は上記よりそんなに重要視されません。

 

次に作品の時間と言うのも関係してきそうです。

歌手・お笑い芸人も持ち芸は数分、お笑いの一発ギャグと捉えられてるものは一秒もかかりません。

ですが映画監督や漫画家は映画なら1時間は軽くオーバーしますし、漫画なら何年~何十年も続いてるものならこうやってそれに反比例するような消費の遅さとなります。

 

つまりコンテンツの消費の早さが「一発屋」と言われやすさと、そうでなさに分類されているような気がします。

歌やお笑いは何度も同じのが繰り返し傍受されやすいコンテンツで、「感動した」とか「笑った」とかプラスの評価がありますが、反対に「飽きた」や「笑えない」などのマイナスの評価も付きます。

一人ひとりの消費の速さに個人差が付きやすく、早くでどうでも良くなりやすい側面もあります。

 

ただ「飽きた」や「笑えない」などのマイナスの評価は、一発屋じゃない歌手・お笑い芸人もそうです。

残念ながら一発屋と呼ばれている場合、「この持ち芸を披露しているのは一発屋」と無意識に刷り込まれている事が多いと言う事実があります。

 

最後に一発しか当ててない場合における、

コンテンツ消費の速さと中の人の出現具合で計算します。

 

映画・漫画などの遅いコンテンツ消費が0.8とすると、中の人の出現具合は5にしてかけ算をしたら、一発屋言われ度は4。

歌・お笑いなどの早いコンテンツ消費が30とすると、中の人の出現具合は5にしかけ算をしたら、一発屋言われ度は150。

 

こう言った感じになるでしょうか?