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常にクリエイターでいたいがアーティスト傾向が高い人間の考えまとめ。自分が読み返して、面白かったりタメになったりしていますように

作品の定義は「自分や自分達が盛り上がるか盛り上がっていないか?」

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https://www.photo-ac.com/main/detail/947350?title=%E5%8B%89%E5%BC%B7%20%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97%E9%A2%A8%E6%99%AF&searchId=3741404392

自分は自分が作っているものも含めてそれが提供側であろうと「作品」と呼んだり、呼ばれたりする事に抵抗を持っています。

なぜなら本当に「作品」なのか? と言う思いがあるからです。

 

例えば写真ならどんなカメラであろうが、単にシャッターを押しただけで”作品”になります。

そのカメラの性能や撮したもの(例えポケットに入れたままでスマホなどのシャッターを押したものでも)など、その時にしかないものを切り取っているから”作品”になります。

絵や文章も同じでその時の時代のテイストに自然と影響を受けているかもしれないし、ほかの影響も十分に考えられる。

その時にしかないものを切り取っているその総てが”作品”になります。

また知識や技術をまとめたものも、その時のものだから”作品”です。

 

しかし提供側はどこまで作品と定義付けているのかな?と疑問に感じます。

上の”作品”は言わば当たり前ですが、そう感じながら言っているのか?

独自性や感性などが強く出ていて、その作っているものの個性が際立って見えて「作品」と呼んでいるのか?

独自性や感性などが強く出ていないのに、出していないのに「作品」と呼ぶ事に自分自身が作っているものも含めて、抵抗があるのです。

「作品」と呼んで、自分や自分達が盛り上がっているだけなら格好悪いです。

(私自身が納品したシナリオの殆どは「作品」と思っていません。)

 

独自性や感性などが強く出ていないものを出し続けてお金を獲得し続ければ大万歳でしょうし、独自性や感性などが強く出ているのものの方がお金は獲得しにくいと思います。

ですが、独自性や感性などが強く出ていないものを出し続ける事は示しがつかないと思います。

私は独自性や感性などが強く出ていると感じたものに触れて、「こう言うのを作りたい」と思ってもがいたりしています。

独自性や感性などが薄れてしまったら「みんなに新鮮な気持ちを与えたい」と感じる人達が減る気がするからです。

「こう言う”作品”があるんだ!」「この”作品”前見た”作品”とは感じが違うぞ だけどこれが良い!」と思わせた方が、世の中や生きる事もその分結構楽しくなると思うのですが、そうやって出来るのは提供側なんです。

 

またこう言うのでお金が手に入らないと、世の中何もせずにずっと食っていける人ばかりではないので、『お金を獲得』じゃなくて『お金を頂く』にするべきだと思います。