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常にクリエイターでいたいがアーティスト傾向が高い人間の考えまとめ。自分が読み返して、面白かったりタメになったりしていますように

エンターテイメントと芸術の違い

自分はエンターテインメントと芸術の差はそうないと言うか、違いがよく分からない。
村上隆の『芸術闘争論』を読んだ事があるが、確か芸術も需要に合わせて作ってると書いてあった。

村上隆の範囲外から見ても、芸術も需要に合わせて売っているし、言わば作品以外でも説明や作者プロフィールなどで見ている人の(対象者の)心理を突く。

芸術は確かに需要に合わせているわけじゃないのものあるが、宮廷画家は写真がなかった時代に宮廷に合わせて描いていると聞いた事があるし、エンターテインメントも需要に合わせたと必ず決まったものじゃないかもしれない。

また新潟のダンスカンパニーであるNoismのドキュメンタリーを見たら、主宰者が「これじゃお客さんに金を払って見るような内容じゃない」とか、練習中のダンサーに厳しく指導していた。
Noismのそれも人から見たら『アート』で実際アートであるんだけど、芸術も人のことを意識している。
自分が音楽教室に通っていても先生が「ここは盛り上がる所だから~」と指示をする。

芸術は自分を主体にして作るものであっても、エンターテインメントもそれは同じの部分があるんじゃないだろうか?
自分がシナリオライターとして仕事をしている時、ディレクターとかの人の一部には自分の創作性を主張する人がいるけど、(ユーザーを楽しませる)と言う意図があっても、
自分主体でやっていると思う。

また人を楽しませたいと言うのはダンスもピアノもそれは同じ。絵ももちろん同等。
また芸術をエンターテインメントに取り込むのはものすごくあるし、逆にエンターテインメントを芸術に取り込むのもあるんだろう。

芸術が商売として成立する時、それは共感と言うものが作用している。
野球のWBCも『何でこんな事をするのか分からん』と宇宙人から見たら思うかもしれないけど、だからスポーツも理解されないと言う意味で『芸術』だ。
しかし地球ではそう言う意味の芸術ではなく、エンターテインメントとして認められている。

それに地球では共感と言うものが作用しているからお金が成り立つ。
アニメやゲームなんてのも『子供向きでしょ?何で大人がこんな事を楽しんでるのか分からん』が昔は蔓延していた。でも今は違う。

芸術もエンターテインメントも『理解』と言う値を強く獲得して、共感が生まれる。
フィギュアスケートもスケーターの織田信成が言ってたが「男がこんな事をやるなんてと言われた」と話す。
しかし今は羽生結弦のように、男子のフィギュアスケートは認められた存在だ。

芸術はクローズドの部分はあるがエンターテインメントもそうだ。
ゲーム会社の日本ファルコムはマニアックだが、熱い支持層がいるから今の時代も継続できていると言われている。(その真偽は不明だが)

理解度は強く獲得しなくてもいいかもしれない。
だが理解者の中の共感度は高いほうが良いと言うことだろう。

芸術とエンターテインメントの違いって何だ?

羽生結弦さんのGIFTと言うアイスショーでは、羽生結弦ひとりがリンクの上で滑って、自分の内面を強く表現した。あれは芸術でもありエンターテインメントでもあると自分は見て感じた。

しかし開催場所の東京ドームをお客さんで埋めた。
また独りよがりのショーをやったから、羽生結弦は叩かれた。とは聞かないし

上の絵は自分が描いたもの。独りよがりとかに見えるかもしれない。だけど「都会を練り歩く」のタイトルのこの絵に共感してくれた人がいた。