山上徹也容疑者と人の追い込み
山上徹也容疑者による安倍晋三銃撃事件について、たまに考えることがある。
結局、山上徹也容疑者がああ言う事をしなくても、旧統一教会を追及できれば良かったのにと思う。
山上氏は事件前、ブログで旧統一教会を非難する男性に手紙を送ったとの事だけど、そのブログで非難している旧統一教会について元々注目していれば、安倍晋三さんは殺される事はなかったのかもしれない。
※参考サイト
山上徹也容疑者 事件直前に島根県松江市の男性に殺害をほのめかす手紙 男性は「直接話してくれれば」 | TBS NEWS DIG (1ページ)
自分はたまに福島原発事故からの影響について調べていた事があったけど、その悪影響を助長していると大手コンビニを非難しているブログを見た事がある。
また大手ニュースメディアもそのように、福島原発事故からの影響について言及していたらしい。
このように個人から組織まで、数々の社会追及をしているけど、自分達はそれらを見逃している。
もちろん情報の真偽は分からないし、はっきり言ってそれが正確な情報であるのかは、名のある個人や組織からのものでも確定させる事は難しい。
でも自分が見た範囲では、事件を起こさなくても、誰かが非難しているものの内容が取り上げられる、世の中を構築すると言う考えが書かれているようには見えない。
残された昭恵夫人の事を考えたり、山上徹也容疑者や安倍晋三さんについたりしても思う。
よくテロ以降の旧統一教会などについてだったり、関連法案について取り上げられる。
でもその前に、事実を取り上げる変えるシステムとか、追い込まれないで良いようにする人の気持ちについて議論してもいいんじゃないだろうか?