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常にクリエイターでいたいがアーティスト傾向が高い人間の考えまとめ。自分が読み返して、面白かったりタメになったりしていますように

AIは逆に人の希少価値を高める

AIを使うのは高度じゃなくて陳腐な時代になっていると思う。

技術の難しさは関係ない。人が作ったのと見分けが付かなくなったり、簡単に出来るようになったりするとその分、「AI」の単語を入れないといけないし、人じゃない時のガッカリ具合いもある。

 

確かにAIでオススメを表示したり、アパレル企業がAIモデルを使ったりする。アパレル企業なんかわざわざAIとか表記しないようになるかもしれない。(逆に実在のモデルを使っていますと言うようになるかもしれない。)

そう言う誰それが作ったや使ってるとか気にしない所では、「AIになるよね。AIでいいや」と思うかもしれない。

 

しかし私達は人が作ったり、使われたりするのを求めている部分もある。

実在のファッションモデルが好きで服を買ったり、その写真を眺めたりするし、ミュージシャンや曲なんかもそう。

例えば「山之内すず」のファッション写真と思って眺めていたものが、実はAIでしただったら、いくら本人とかが同意していようと「えぇ~! そうなの!?」とファンはショックやガッカリを受ける。

 

昔はAIすごいとみんな感じていたと思うし、今のほうが特にそうかもしれない。

しかしAIが当たり前として目に現れている時代になり、考えさせられる段階に入っている。

ChatGPTの台頭とか、もう1億人AI使いの時代になっているかもしれないし、AIは作業を簡略化するためのツールにもなっている。

 

技術革新が進んで下の記事のようにもなるし、

news.yahoo.co.jp

 

精巧なAIの膨大なデータの元となる人間は、自分の存在を主張する。(Instagramの絵アカウントなんかプロフィールで「AI学習禁止」と言ってるのは珍しくない。)

 

それはなぜか?と言うと、自分という実在の人間の存在意義が無くなるから。

昔は「これってCGでしょ?」って言われてきたけど、『つまり人が作ってるんでしょ?』の意味が含まれていたけど、AIが自動的に作るみたいな「これってAIでしょ?」になり、つまらなく感じてしまうのが現状だと思う。

 

膨大なデータもAIが詳しくない人も簡単に取り扱えるようになれば、逆にAIを生業にしている人にとっては、より精工なものはさらにスナック感覚のように作れるようになる。

 

もちろんAIを必ず否定しない。「AI美空ひばり」のようにAIだからこそ、人のぬくもりが必要がある。

逆に「ディープフェイク」のように人のぬくもりなんか、全く考慮されていない正反対のものもある。

「ディープフェイク」が陳腐とかの印象をより付けると思うし、「AI学習禁止」のように存在を主張するのも、「これってAIでしょ?」「これはAIです」と言われる危険性の裏返しになる。

 

恐らく小説や映画のストーリー、絵やファッションなど裏の人を木にしなくていいから、出来上がったものだけに興味があるなら『AI』。

人自体を感じたかったら『AIなし』の2つの需要がこれから大きく伸びる。(「AI」を補助で使えばより、2つの需要が目立つようになる。)

なおかつ人が減れば減るほど『AI』作成が大きくなり、人が作る事自体が希少になる。

だからAIは逆に人の希少価値を高める。

でも『AIでいいいや』が大きくなったら、人の希少価値が無くなる可能性も高い。

 

(ちなみに上の写真AIなんだそう。このAI製作者に拍手をしないといけないけど、誰それが作ったとか正直気にしない、爽やかな学生写真が欲しいと思ったら手軽に無料でこう出来る。

そのリンク先↓)

https://www.photo-ac.com/main/detail/26806536