いじめを受けている中で自分を認めてもらう事について
学校でいじめを受けていても、それでも自らの意思で休まず通い続けている人の中に、理由として「(いじめをしている)みんなに勝ったと思われたくない」と言うのがある。
自分はそれを聞く度ある疑問を感じる。
「いじめをしている人達は、結局自分達を肯定するんじゃないか?」と。
いじめを受けて学校に来なくなったら「ざまあw」と思われるのが嫌と言う事になると思うけど、学校に通い続けて「俺達は・私達はあいつに負けた・・」と思わせるのは、結局はむなしい戦いになるんじゃないか?って。
学校を卒業した後に、在学中に仲良くしていたとしてもその大半は「変なやつだった」や「忘れた」と思うものらしいので(友達と会話しているとそう言う。)、
いじめている人が通い続けても休んでも、卒業したら「変なやつだった」とか思うのがもしかすると、普通になるような懸念がある。
「あいつをいじめてすまなかった」と反省するのであれば、それは通い続けることをしなくても出来る手段のはずで(SNSなりなんなりとか別の方法で)、
無理して通わなくて良いんじゃないか?と自分はそこに考えが行き着く性質である。
いじめている人は結局はその事に対して自分を肯定するはずで(「あいつをいじめてすまなかった」と思う自分が偉いなど)、
そう言う人達がいる中で、通い続けて自分を認めてもらう価値って一体何だろうか?
自分を認めてもらって、いじめていた部分の本質を根本的に変えることが出来たら良いけど、そうやって根本的に変えるのはすごく難しいんじゃ?
「ざまあw」と思われても通わない方法を取って、そこから自分を認めてもらう別の選択方法を取ったほうがいいんじゃ?