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常にクリエイターでいたいがアーティスト傾向が高い人間の考えまとめ。自分が読み返して、面白かったりタメになったりしていますように

ラーメン屋に教えるラーメンの作り方理論について

私は以前職種や作品について思った事を、その職種や作品を作ってる人に言うのは、
「ラーメン屋にラーメンの作り方を教えるようなものだ」みたいに言われた事がある。

しかしそれ以降は職種や作品について思った事を、その職種や作品を作ってる人に言うのは、返って感謝されたりする事の方が圧倒的に多い。

またある作品についての感想を送ったら、電話口でそのスタッフに
「感想スタッフ達で喜んで見たよ。君に会いたくなった」と言われた時、
以前よりもラーメン屋理論に違和感を持つようになった。

自分は前にもそうはっきりと「ラーメン屋にラーメンの作り方を教えるようなものだ」も言われた時正直、心の中で「ラーメン屋が気づかないラーメンの作り方があるんじゃない?」と思った。

だから自分目線で再度考えてみる。
恐らくラーメン屋理論には次の二つの定義があるはずだ。
・物事の作り方そのもの
・物事の評価や感想
またそれを世間ではごっちゃになってる部分もあるのではないか?と思うので、整理したい。

「物事の作り方そのもの」に対しては、普通は同業者とかでない限り言わないのが暗黙の了解なんだろう。
私の「ラーメン屋が気づかないラーメンの作り方があるんじゃない?」のは、まあ基本を知ってる人じゃないとあれだろう。

「物事の評価や感想」に関しては、聞かないと分からない部分が大きいのだろう。
なぜなら作ってる側はどんなに考えても、完全に人からの感想や評価は自分達側では分からないからだ。

例えば俺がこのブログや小説やTシャツデザインの作品を作って、作り途中のや完成した作品を見直しても、分かる事は結構少ない。
人の評価や感想を聞いて、分かる事の方が多い。
だから評価や感想が必要になる。

また「物事の作り方そのもの」についても、聞いて良かったと思う事もある。
大概それについて言われたら、その人の態度とか次第で何言ってるんだって思う事の方が俺は多いのかもしれない。
もちろん自分から聞きに行ってるなら別だろうが、同業者でも態度とかで腹が立つんだろう。
しかし「ラーメン屋が気づかないラーメンの作り方がある」事も、経験上としてある

だから総合的に言えば、「物事の作り方そのもの」や「物事の評価や感想」でも「ラーメン屋にラーメンの作り方を教えるようなもの」自体は悪くない。
ただ言われる人やシチュエーション、態度とかでムカついたりもするか、ならないか?の違いなんだろう。
恐らくラーメンの作り方を教えられる事自体、嫌いな人はごく少数だ。