溢れ出るコンテンツとそれの情報と利用する理由について
インターネットが隆盛している現代、色々な人がネットコンテンツを作り、またネットに限らず様々なサービスを提供しているので一つのジャンル取っても、楽しみ方はまるで無限大のように感じる。
昔の方が、例えば1980年代以前の方が楽しむ方法が多いとしても、それ以前のをあまり知らない自分にとっては充分すぎるほどある。
それでその無限のコンテンツを楽しむには、ひたすら摂取するしかない。
情報が次々に更新されるわけで、自分はそれに付いていけない。しかしそれで十分なレベルに達するまでに付いていきたいのである。
その十分と言うのがミソで、「少しでも付いていきたい」と書こうとしたけど、少しなら不満みたいに残る。
なぜなら今体感しているコンテンツに対して、それをより楽しむために十分に別のコンテンツを楽しめなかったと思うわけだし、コンテンツを楽しんでいる他の人の話を聞いて置いてけぼりみたいな、十分に楽しんでないと感じる俺がいるわけである。
例えば俺はアイドルのPerfumeのファンである。
P.T.A.と言うファンクラブに入ってるほどだが、自分の使ってるTwitterでそのP.T.A.に入ってるフォローしてる人が多いので、P.T.A.の含むPerfumeの情報をよく呟いてるわけである。(もちろん会員限定のは少なくとも割とボカしている)
俺はP.T.A.に入ってる割には詳しくないので、十分に楽しんでないと感じるわけである。
そしたらその十分に楽しんでないのを解消する為には、Perfumeと言うコンテンツを積極的に楽しむのが一番である。
しかし自分の今の気分が優れなかったりとかする状態で、コンテンツを体感しないといけないような感じにもなる。
勿論その時はその時なりのコンテンツの楽しみ方をすると言った方法があるとは言え、あるコンテンツの摂取の仕方しかないのもある。
別の自分の例だと、俺はスーパーロボット大戦シリーズが好きだが、いまだに最新作のスーパーロボット大戦Xをクリアしていない。
また3月20日に最新作スーパーロボット大戦Tが発売されるので、その日にプレイ出来るように間に合わせたい気持ちがある。
と言う事は悩みがあろうと、スーパーロボット大戦Xをプレイしないといけないわけである。
そう言った趣味はスパロボに対してないがファンアートを楽しんだりしても、スパロボTを楽しみたい気持ちに向けて準備が出来ないのである。
そう言ったのは脅迫にも似た、コンテンツの贅沢とも言える。
そのコンテンツを自分がどう言った状況にしろ体感してないと、他のコンテンツが来てしまうぞと言うのが今の世の中の常で、情報に埋もれない為に情報を摂取する。
と書いてみるとまるでオタクのようだし、マイペースで楽しんでみても良いんじゃないか?と言う考えもある。
しかし先にコンテンツを体感した人による「ネタバレ」や「感想」が目につきやすいのが世の中だから、実際はマイペースであるのは難しい。マイペースでいるためにはネタバレ等は気にしないか、もしくはそうならないような環境作りが必要になる。
そして自分自身に置き換えた場合どうしたいか?と言うと、マイペースになるよりコンテンツを多く摂取した方が良い。
例えば昔の作品ばかり触れたとしても、クリエイターやアーティストとして作品を発表する時その雰囲気だけを閉じ込めても意味がない。
なぜなら今を生きている人に支持されづらく、洗練されていない昔懐かしい雰囲気だからヒットってあっても良いかもしれないけど自分の場合聞いたことがない。
そう言う意味でも触れた方が良いし、また刺激を受けたい。
例えば最先端の作品こんな事をやってるんだすげーとか、そうする事が自分が作品として出力する時大いに役に立つはずである。
そして自分自身が狭い世界に閉じ籠らないようにしたいし、また人の話の種にもなる。
こう言う風に情報量が多く、人の投稿や次のコンテンツで摂取しないといけないような世の中であると思うけど、コンテンツに溢れている事自体は良い事で、それを活用する理由は多くある。