idea part

常にクリエイターでいたいがアーティスト傾向が高い人間の考えまとめ。自分が読み返して、面白かったりタメになったりしていますように

「売れやすい」を「面白い」と言い換えてる

バブル世代の人々イラスト

 

自分は企業や個人のクリエイターが小説やマンガ・アニメ、映画などの言わば物語のコンテンツの「面白い」の定義をかなり決め付けている事にすごく不満を持っています。

 

その「面白い」は本当は「売れやすい」であって、それを「面白い」と都合のいいように変えている気がするからです。

私は「面白い」の定義は、言葉にできないものだと思っています。

「売れやすい」ものは「面白くない」とは言いませんが、「売れやすい」と「面白い」を分けて考えた方が、それこそ「面白い」ものが出来るんじゃないでしょうか?

少なくとも日本語翻訳では「売れやすい」を「面白い」と言い換えて、脚本の指導をしているSAVE THE CATの法則内で

「面白い」と評判の映画『メメント』の収入はいくらかみんな知ってるかい?
あんなの、クソ食らえだ!
と批判しているのですが、
「面白い」と「売れやすい」は違うと暗喩に表現しているわけです。

(ちなみになぜ「売れる」じゃなく「売れやすい」と書いてるかと言うと、皮肉でも何でもなく必ず『売れる』わけじゃないからです。)

 

ではなぜ「売れやすい」を「面白い」を言ってるのかと言うと、それこそ本当の所「面白い」の定義は曖昧である事。
またお金が発生する商業のクリエイティブに身を置いていると、自分が感じる「面白い」の定義が麻痺して、「売れやすい」を「面白い」と思いたくなってしまうのです。

なぜなら「面白い」ものを出したって、お金にならなければ周りからバカにされたり批判されますし、そしたら色々と信じられなくなります。
(売れたら友達が増えたけど名が落ちたらみたいな・・みたいな薄い感覚)

 

またお金が入れば入るだけ、基本名誉を手にする事になるので(ちょっと暴力的な考えかもしれませんが)、
特にゲームやアニメは昔バカにされてたのでその反動で、お金が入るのを「面白い」と定義付けたくなるのです。

でも「売れやすい」作品を世に出して失敗したものを、それの関係者が「面白くない」ものと烙印するかと言うと別の話です。
なぜなら自分達が世話したものだから、いくら売れなかったからと言って無下には出来ないですし、(失敗は自分達にある)とも思っているわけです。
だからお金にしたいのもあって、「マイナーだけど面白い作品」とか特集もあるわけです。

 

自分は一応その商業クリエイティブの世界の片隅に身を置かせてもらってはいますが、
きちんと「面白い」と「売れやすい」を分けて考えて欲しいと思っています。
また私も自分の感性のために、そこはかなり区別していきたいです。

 

ちなみに自分は「作品」と言う言葉にも抵抗感を持っています。(自分が作ったやつも人が作ったものも。ただそれでも面倒臭いのもあって「作品」と呼んだりしてますが)

その内容は、下記のに載ってます。

teruak.hatenablog.com