『俺(私)を聖人扱い』するなと言うその言葉の裏側とは?
アーティスト・クリエイターの人は気難しい人が多いとたまに聞きますし、自分も経験上その感覚が分かります。
アーティスト・クリエイター本人もそれを自覚してるから、たまに「分かってくれよ」と言う発言があり俺もそんな感じです。
その中で俺(私)は聖人じゃないと言う言葉をたまに聞きますが、それは極端なような気がします。
その作品に感動すると、私達はその作者や演奏者は良い人だろうなあと思いを馳せてしまいます。
なのでそう思いがちな自分への戒めとしても『作品の出来の良さと作者の性格は別物』と思っているのですが、
『作者・演奏者の俺(私)は聖人じゃない』とは言うけど、作者・演奏者に本当に聖人的な事を求めているのか? それとも人間としての普通の事を求めているのか?と考えます。
なのでTwitterで「作者 聖人」で検索してみると、まあ聖人持ち上げも多い印象を受けました。
また聖人の定義もよく考えます。人間としての普通の事が出来ない時があったり、もしくは日頃から出来ない部分があるのが”人間”なのか、人間としての普通の事がいつも出来るのが聖人なのか?
人間としての普通の事がいつも出来るのなら、聖人扱いして良いのか?と
このようにして聖人の定義について悩むのですが、人間としての普通未満の事をしているのはクズだと言う風に、少なくとも定義付けされている印象を検索で受けました。
また自分の経験談だと、人間としての普通未満の事をしているからそのアーティストは聖人じゃないと言う発言が過去にあったりしました。
その時は『いや聖人であって欲しいとか、そんな極端まで人は思ってないから』とは思いました。
本当にまさに聖人と言う意味で押し付けられているのならともかくそうじゃないなら、作者自身が『自分を聖人扱いするな』と言うのはカッコ悪いのですが、
聖人扱いされて後でその反動が起きないように防御する事も大切かもしれません。
またここで言う作者は創作者や演奏者なのでその定義とは違いますが、五体不満足の作者の乙武洋匡は聖人扱いされていましたが、不倫報道で一気に正反対扱いされています。
もしかすると聖人扱いしていたのが失望してその反動でそうやっているのかもしれませんし、防御の為なら「聖人扱いするな」と言うのはありだと思います。
なので特に何もなくても自分で「聖人扱いするな」とたまに言った方が良い方がほんの少しは良いかもしれません。
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