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常にクリエイターでいたいがアーティスト傾向が高い人間の考えまとめ。自分が読み返して、面白かったりタメになったりしていますように

分かりやすいものに企業が求めて人も便乗する

ネットを含む世の中は、コンテンツは個性よりも共感の方が重視される時代に変わりました。

自分だけが思っているのではなく友達や、また全く赤の他人が書いたメディア記事でもそう言った記述が見られます。

よってそれ前提で話しを進めます。

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昔のネットは個性が重視され、その中で「読みにくいけど(分かりにくいけど)面白い」と言う言葉を自分は何回も聞いたと思います。

共感や分かりやすい重視になったその背景について考えたりもするのですが、友達は世相と関係があるとも言います。

 

確か世界情勢が不安定になれば個性が共感よりも重視され、安定であれば共感が重視とか、その説は他の所でも時折聞かれるわけです。

 

しかし書いといてそれもまた違うような気がすると考えました。

 

バブル真っ只中の頃の日本はかなり安定志向だったのかもしれませんが、今では考えられない価値観のコンテンツが平気でありました。

その頃のコンテンツの個性を思い浮かべると、今よりも千差万別だと思えます。

子供向けに見えて毒が‥と言うのもよくあった気がします。

 

そして今の日本は安定ではなく、グラついてます。

東日本大震災が起こったり、世界的に規模ですがウイルスが大流行しています。

その中で分かりやすいものが受けられ、前述の読みにくいものは記憶に残らない読み飛ばしの対象にされます。

 

また分かりやすいと言うのは、共感できやすいも含まれます。

例えば文章なら「たかし君はお母さんに頼まれ買い物に出掛けた」なら、分かりやすいですし小さな頃のあるあるを思い出して共感できやすいものです。

 

まるで『世の中が安定=個性が受ける』

『世の中が不安定=分かりやすさが受ける』

みたいな図式になりました。

 

がそう言う構図になっているとしたら、それは人がそれを求めていると言うより、企業がそう言うのを求めている構図になっている部分の方が強いと思います。

 

世の中が不安定なら経済も不安定なので、分かりやすいコンテンツ(=お金が入りやすい)でお金を得たいと考えます。

逆に経済にゆとりがあるなら、分かりにくいコンテンツでも冒険しようかなと思うわけなのです。

 

世の中が安定している場合でも、コンテンツが画一化されてる部分が多く感じたりもするのは、企業がお金を手に入りやすさを重視してるからです。

 

分かりやすいコンテンツでお金を手に入れたいから、今の時代だと「イイね!」の多さやフォロワー数の多い人は「分かりやすい」と思って便乗などを求めています。

 

また人類それぞれ個人がお金を稼げる時代なので、余計に分かりやすさを求めるわけです。

しかしその時代も普遍的に続くとは思えません。

「イイね!」と言うのがダサいと感じる時代がくるはずですし、分かりやすさがずっと求められるのは少なくともありません。

 

それでもみんなその時代に生きてるから今に合わせてるわけですが、「イイね!」や分かりやさが求められる時代を超えても、支持されるコンテンツをやはり作りたいと感じます。